我おもう
2010.02.03 Wednesday 15:02
昨年の冬至を過ぎた頃から、自分自身の再生が始まっている氣がしている。
お店を始めて9年が過ぎ、新たにヒーリングスペースの開設に伴い器を広げた分、今まで溜まっていた何かが押し出されてきているのだろう。
今までは氣にしていなかったことが、過去を取り戻すかのごとく、浮上しては消えていく泡のようなものが出て来ている。これは、懐かしくもあり、古くもあり、様々な想いが波のようにやってきては、消えていく。次に進むためのプロセスが、こういうものなのかと、予想もしていない形でやってくるのがさすがだなと思う所である。
器を広げるということは、内面も外面も同じ意味なのである。
今回、WIJAYAという新しいスペースが出来て、今までよりもヒーリングという枠が広がり、私達の伝えていくものが、更に多くの人達と共有・共感し、成長させていくことが、何よりの喜びになるだろう。その喜びを増やすためのプロセスが、肉体的にも精神的にも自分を大きくすることになる。まさにチャレンジである。
昨年の後半に、スペース作りにおいて体をフルに使った分、今度は心をフルに使う番が待っていた。今年に入り今日まで、そのプロセスは続いた。そして、今日は奇しくも節分の日であり、日本の暦では冬の終わりを告げている。近所のお寺では豆まきが行われており、福を願っている。このタイミングは出来過ぎではないか。まさしく鬼は外、福は内の心境であり、シンクロとはこのことを云うのであろう。こんなにも節分が身にしみるとは、なかなかやってくれるものだ。
魂の成長プロセスにおいて、自己の器を広げていくことの重要さを、ヒーリングスクール時代から繰り返し学んで来ていたのだが、その意味が身に染みてくるこの頃である。
別々の人間が同じ内容の言葉を言っていたとしても、その言葉の意味がそれぞれ別物のごとく、そしてまわりの人達の反応がそれぞれ違うという現象が、ヒーリングスクールの中でしばしば見受けられ、それって一体なんなのだろう?ただの差別ではないのだろうか?言ったもの勝ち?そんなのありか?なんて、当時よく思っていたりしていたのだが、今そのことを思うと、それも魂の成長のプロセスの度合いによる差が出ているだけで、実は問題は何処にもなかったのかもしれないということに氣づいた。
人も己も、成長には誰かが介入することは出来ることではない。ただ、そこに在ることに気付き、そして在り続けるということである。ヒーリングプロセスも同じく、ただそこに存在することである。
そういった理解を深めることが何よりも大事なことである。
深くて広いヒーリングの世界が、ますますこれからの時代とともに扉が開いていくのであろう。いつの時代にも、変化の波が訪れていて、それはこの星が誕生したときから、始まっているのだ。それは、人間も然りである。特例はない。成長し続けていくこと、それは内面も外面も含め全ての次元においてなのだ。
by Jun Kawamura
お店を始めて9年が過ぎ、新たにヒーリングスペースの開設に伴い器を広げた分、今まで溜まっていた何かが押し出されてきているのだろう。
今までは氣にしていなかったことが、過去を取り戻すかのごとく、浮上しては消えていく泡のようなものが出て来ている。これは、懐かしくもあり、古くもあり、様々な想いが波のようにやってきては、消えていく。次に進むためのプロセスが、こういうものなのかと、予想もしていない形でやってくるのがさすがだなと思う所である。
器を広げるということは、内面も外面も同じ意味なのである。
今回、WIJAYAという新しいスペースが出来て、今までよりもヒーリングという枠が広がり、私達の伝えていくものが、更に多くの人達と共有・共感し、成長させていくことが、何よりの喜びになるだろう。その喜びを増やすためのプロセスが、肉体的にも精神的にも自分を大きくすることになる。まさにチャレンジである。
昨年の後半に、スペース作りにおいて体をフルに使った分、今度は心をフルに使う番が待っていた。今年に入り今日まで、そのプロセスは続いた。そして、今日は奇しくも節分の日であり、日本の暦では冬の終わりを告げている。近所のお寺では豆まきが行われており、福を願っている。このタイミングは出来過ぎではないか。まさしく鬼は外、福は内の心境であり、シンクロとはこのことを云うのであろう。こんなにも節分が身にしみるとは、なかなかやってくれるものだ。
魂の成長プロセスにおいて、自己の器を広げていくことの重要さを、ヒーリングスクール時代から繰り返し学んで来ていたのだが、その意味が身に染みてくるこの頃である。
別々の人間が同じ内容の言葉を言っていたとしても、その言葉の意味がそれぞれ別物のごとく、そしてまわりの人達の反応がそれぞれ違うという現象が、ヒーリングスクールの中でしばしば見受けられ、それって一体なんなのだろう?ただの差別ではないのだろうか?言ったもの勝ち?そんなのありか?なんて、当時よく思っていたりしていたのだが、今そのことを思うと、それも魂の成長のプロセスの度合いによる差が出ているだけで、実は問題は何処にもなかったのかもしれないということに氣づいた。
人も己も、成長には誰かが介入することは出来ることではない。ただ、そこに在ることに気付き、そして在り続けるということである。ヒーリングプロセスも同じく、ただそこに存在することである。
そういった理解を深めることが何よりも大事なことである。
深くて広いヒーリングの世界が、ますますこれからの時代とともに扉が開いていくのであろう。いつの時代にも、変化の波が訪れていて、それはこの星が誕生したときから、始まっているのだ。それは、人間も然りである。特例はない。成長し続けていくこと、それは内面も外面も含め全ての次元においてなのだ。
by Jun Kawamura