勘三郎さん
2012.12.05 Wednesday 16:48
20世紀の終わりのノストラダムスの大予言に次ぐ、
大きな転換点として捉えられてきた2012年の冬至。
我々業界の中でも密かにこの時を大きな分岐点として、今まで過ごしてきた人が多いと思う。
この話題は、スピリチュアルな道程を歩んでいる人々にとって、誰もがインプットされてきたものであるが、まさに世の中の動向を見ると、激動の真っ直中に全ての人たちが直面しているのではないでしょうか。
今日、歌舞伎界の中村勘三郎さんが亡くなった。
神楽坂を愛し、忙しい身にも関わらず、いつも神楽坂にて元気に大きな声で、
街を楽しんでいた姿が今でも目に浮かぶ。
2000年にお店を始めて、当時大きなサボテンをお店に飾っていたのだが、
そのサボテンに誘われて、ファミリーで来店されたことがある。
その時伺ったネイティブアメリカンのお話は今でも覚えている。
セドナに別荘があり、ネイティブの方に管理を任せていることや、インディアンタイムのことなど。
良いところなので是非一度行ってくださいと、ご夫婦そろって云われたことが昨日のように思う。
声の大きさは天下一品、そしてあんなに通る声で話す人は初めてで、拡声器でも内蔵しているのではないかと思ったぐらいの衝撃だった。
芸の道を極めて行く人は違うものだなと感心してしまった。
その後も店の前の通りで良くお見かけした。
その元気な姿を見るだけで、気持ちが活性化したものである。
存在そのものが影響力を持っている人だった。
どの分野でも、何かを極めていこうと前進している人は共通項がたくさんある。
そんな輝いている人が地球から去り、次の次元に移行してしまった。
まさに2012年は激動の年。
自分自身も変化を体験している中で、
今日の訃報はまたひとつそれを促す大きな出来事と感じている。
勘三郎さん、ご冥福をお祈りいたします。
向こうの世界から、どうか神楽坂を見守っていただければ、幸いです。
ありがとうございました。
大きな転換点として捉えられてきた2012年の冬至。
我々業界の中でも密かにこの時を大きな分岐点として、今まで過ごしてきた人が多いと思う。
この話題は、スピリチュアルな道程を歩んでいる人々にとって、誰もがインプットされてきたものであるが、まさに世の中の動向を見ると、激動の真っ直中に全ての人たちが直面しているのではないでしょうか。
今日、歌舞伎界の中村勘三郎さんが亡くなった。
神楽坂を愛し、忙しい身にも関わらず、いつも神楽坂にて元気に大きな声で、
街を楽しんでいた姿が今でも目に浮かぶ。
2000年にお店を始めて、当時大きなサボテンをお店に飾っていたのだが、
そのサボテンに誘われて、ファミリーで来店されたことがある。
その時伺ったネイティブアメリカンのお話は今でも覚えている。
セドナに別荘があり、ネイティブの方に管理を任せていることや、インディアンタイムのことなど。
良いところなので是非一度行ってくださいと、ご夫婦そろって云われたことが昨日のように思う。
声の大きさは天下一品、そしてあんなに通る声で話す人は初めてで、拡声器でも内蔵しているのではないかと思ったぐらいの衝撃だった。
芸の道を極めて行く人は違うものだなと感心してしまった。
その後も店の前の通りで良くお見かけした。
その元気な姿を見るだけで、気持ちが活性化したものである。
存在そのものが影響力を持っている人だった。
どの分野でも、何かを極めていこうと前進している人は共通項がたくさんある。
そんな輝いている人が地球から去り、次の次元に移行してしまった。
まさに2012年は激動の年。
自分自身も変化を体験している中で、
今日の訃報はまたひとつそれを促す大きな出来事と感じている。
勘三郎さん、ご冥福をお祈りいたします。
向こうの世界から、どうか神楽坂を見守っていただければ、幸いです。
ありがとうございました。